母の介護の始まりは、ある日曜日の出来事がきっかけでした。
母は運転免許を持っていません。若い頃から、どこへ行くにも自転車でした。70代後半になっても、電車やバスといった公共交通機関を使うより、電動自転車で買い物や用事を済ませてしまう人でした。年齢を重ねてもそうして自分の足で動ける母を、私はどこか誇らしく思っていました。同時に、転んで怪我をしないように気をつけてほしいとも思っていました。母自身も、怪我をしないよう、スピードは出さず、対向する自転車が来るときは自転車を降りるなど、気をつけていました。
転んだのは、いつもの買い物の途中だった
その日も、母はいつものように電動自転車で買い物に出かけました。
きっかけは、ほんの小さな段差でした。少しの段差を自転車で登りきれず、バランスを崩して転びそうになったのです。とっさに、倒れかけた自転車を支えようとしました。電動自転車は、普通の自転車よりも重くできています。その重みを腰で受け止めてしまったことが、原因でした。
このとき母の背骨は、圧迫骨折を起こしていました。けれど本人も、まさか骨が折れているとは思っていませんでした。
骨折を知ったのは、翌日のLINEだった
私は母と離れて暮らしています。
その日は日曜日で、朝に一度、母と話をしていました。いつもと変わらない声でした。夜はもう連絡を取っていなかったので、私は母が転んだことも、腰を痛めたことも、その日は知らないままでした。あとから聞けば、母はその日、かなりの痛みをこらえていたそうです。それでも、離れて暮らす私に心配をかけまいと、あえて連絡してこなかったのです。
異変を知ったのは、翌日のLINEでした。自転車で転びそうになって腰が痛むので病院に行ったら、圧迫骨折と診断された——そう母から知らされました。あの小さな段差での出来事が、骨折につながっていたのだと、そこで初めてわかりました。
「圧迫骨折くらい」と、私たちは軽く見ていた
今になって思うのは、あのとき私たち家族は、圧迫骨折を軽く見ていたということです。
実は、私の祖母も圧迫骨折をした経験がありました。そのときは病院に入院して、きちんと治ったという記憶が私の中に残っていました。だから「圧迫骨折なら、そのうち治るもの」と、どこかで思い込んでいたのです。高齢になってからの骨折が、その後の暮らしをどれほど大きく変えてしまうか、このときの私はまだわかっていませんでした。
母は入院を望まず、通院で治すことを選んだ
母自身は、入院をしたくないと言いました。
かかりつけの整形外科が家から近かったこともあり、通院しながら治すという選択をしました。当時はそれが自然な流れに思えましたし、母の希望でもありました。
けれど、あとから振り返ると、この選択がその後に大きく影響していくことになります。1年が経った今も、母の骨はまだ完全にはつながっていません。あのとき別の選択をしていたら、結果は違っていたのだろうか——そう考えることが、今もあります。
なぜ母が通院を選んだのか。そして、痛みが引かないまま、母がようやく入院を決めるまでに何があったのか。次回は、その話を書いていきたいと思います。
この記事は、離れて暮らす母の介護をしてきた私自身の経験をもとに書いています。症状や治療の受け止め方は人それぞれ異なります。ご家族の状況については、かかりつけの医師にご相談ください。


