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寝たきりから、家に帰るまで——リハビリ専門病院で母が変わった3か月

「寝たきりから、家に帰るまで」をテーマにした、母の介護シリーズ第4話のアイキャッチ画像 親の介護

前回は、寝たきりに近い状態だった母の、リハビリ専門病院への転院が決まったところまで書きました(第3話はこちら)。

転院してからが、本当の回復の始まりでした。

片道800キロを、通い続けた

私の家から、実家(母の住まい)までは、片道で800キロ近く離れています。そして、実家から入院先のリハビリ専門病院までは、電車とバスを乗り継いで1時間半ほどかかります。決して気軽に行き来できる距離ではありませんでした。

それでも私は、隔週から月に一度のペースで、母のもとへ通い続けました。正直、体力的にも時間的にも大変でした。けれど、離れて暮らしているからこそ、節目には母のそばにいたい。その一心でした。

チームで、母を支えてくれた

このリハビリ専門病院で驚いたのは、多くの専門職の方が、ひとつのチームになって母を支えてくれたことでした。

母のチームには、医師、看護師、理学療法士、作業療法士、歯科衛生士、管理栄養士、薬剤師、医療相談員、そして介護職員の方々がいました。それぞれの専門家が役割を持ち寄って、「母の回復」という一つの目標に向かってくれたのです。

理学療法士さんは、座る・立つ・歩くといった基本の動作を。作業療法士さんは、食事や着替え、トイレといった日常の動作を。管理栄養士さんは、体づくりを支える栄養面から。それぞれの専門家がかかわり、365日、毎日リハビリが組まれていました。

中でも、私にとって新鮮で、本当にありがたかったのが、「医療相談員」さんの存在でした。母について、入院中のことから退院後の生活のことまで、何でも相談できる窓口です。

この存在が、離れて暮らす私にとって、どれほど大きかったか分かりません。実は、薬の副作用が出てから、母はLINEをするのも億劫になり、スタンプを送ることも、電話に出ることもしなくなっていました。こちらから連絡しても、反応が返ってこない。だから、実際に会いに行く日まで、母がどんな様子でいるのか、私にはわからず、いつも不安を抱えていました。

そんなとき、相談員さんに電話をすれば、次に見舞いに行くまでの間の母の様子を、教えてもらえたのです。ふつうの病院では、患者さんへの電話の取り次ぎは、緊急のときや、どうしても連絡がつかないときに限られます。様子を確認するために気軽に電話できる、という雰囲気ではありません。母の状態を相談したり、確認したりするために電話してもいい——その環境が、遠くで暮らす家族にとって、本当にありがたかったのです。

「3か月後に家に帰る」から逆算する

私が何より希望を持てたのは、その計画の立て方でした。

母が転院した、リハビリを専門とする病院では、集中的にリハビリを受けられる入院期間が、制度によって決められていました。最初に入院した近所の病院では、まず骨折そのものの治療が中心でしたが、転院してからは、限られた期間の中で「家に帰れるところまで回復する」ことが目標になりました。その期間は、骨折の場合、入院した日からおよそ3か月(90日)まで、と決められていました。

その限られた3か月の中で、「3か月後に自宅へ戻る」というゴールを先に決めて、そこから逆算して計画を組んでいく。今月はここまで、来月はここまで、と。行き当たりばったりではなく、「家に帰る」という一点に向かって、みんなが同じ方向を見てくれている。それが、何より心強かったのです。

驚いたのは、その計画が、母の“実際の家”に合わせて作られていたことでした。転院して2週間ほどで、専門の方が母の自宅まで来て、玄関やお風呂、トイレ、ベランダの様子を写真に撮り、間取りを詳しく調査してくれました。これを「家屋調査」というそうです。その結果はチームのみなさんに共有され、母のリハビリにどんな訓練を取り入れるべきかを、一緒に検討してくださいました。

病院の中は、転ばないように、バリアフリーの造りになっています。けれど家には、あちこちに段差や障害物があります。家に戻って暮らすために、どんな動作の訓練が必要かを、実際の家をもとに組み立ててくれる。ここまでやってくれるのかと、驚きました。

そして月に一度、カンファレンスがありました。母の今の状態を報告してもらい、次の1か月の計画を一緒に確認する。ゴールから逆算して、一歩ずつ近づいていく。その進め方に、私は深く感動しました。

「できること」を、取り戻していく

回復を支えてくれたのは、リハビリの時間だけではありませんでした。日々の関わり方そのものが、母の力を引き出してくれたのです。

リハビリ専門病院では、回復が進むにつれて、歩行器を使って歩ける距離を伸ばすことや、衣服を自分で脱ぎ着できるようにすることなどを、目標に据えてくれました。手を貸しすぎず、母が“できること”を一つずつ取り戻していけるように関わってくれたのです。

転院してしばらくの間、母の車椅子を押すのは「病院のスタッフのみ」という印がついていました。どこかへ行きたいときは、昼でも夜でも、必ずスタッフを呼ぶ、というルールです。ふつうの病院なら、忙しそうなスタッフに遠慮して、ナースコールを押すのを躊躇してしまいがちです。それが「どんなときも必ず呼んでください」というルールになっていること自体がありがたく、母も、離れて暮らす私も、遠慮なくお願いすることができました。そうして自分でナースコールをして体を動かすことが、母の「できること」を少しずつ増やし、「自分でできる」という自信につながっていきました。

できないことを介助するだけでなく、できることを増やしていく。その関わりの積み重ねで、寝たきりに近かった母が、身の回りのことを少しずつ自分でできるようになっていったことは、回復への大きな一歩でした。

そして母は、家に帰ってきた

そして転院からおよそ3か月後、決められた入院期間をいっぱいに使って、母は退院の日を迎え、自宅に戻ってきました。

寝たきりに近かった母が、退院のときには、外出こそ車椅子でしたが、家の中では歩行器や杖を使って、自分の足でまた歩けるようになっていました。その姿を見たとき、私は胸がいっぱいになりました。もし、最初の病院を退院したあと、そのまま施設に入っていたら、ここまでの回復は難しかったかもしれません。リハビリ専門の病院を選んだからこそ、母はここまで戻ってこられたのだと思います。諦めずに専門の病院を探してよかった。家族で支えてよかった。心からそう思いました。

退院したあとも、病院からは3回ほど、アンケートが郵送で届きました。退院して終わり、ではなく、その後もきちんと患者のことを気にかけてくれている。そういう病院に出会えたことも、幸運だったと感じています。

もっとも、母を退院後にどこで迎えるか——自宅か、施設か——をめぐっては、家族の中で意見が分かれ、何度も話し合いました。次回は、その家族の話し合いについて書いていきます。


この記事は、離れて暮らす母の介護をしてきた私自身の経験をもとに書いています。制度や治療、リハビリの内容は人それぞれ、また時期や地域によっても異なります。詳しくは、病院や自治体にご確認ください。

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